地獄から送る人間賛歌

アイドリッシュセブンのシナリオオタクとしては、劇中劇と呼ばれる長編イベントストーリーをとにかくオススメしたい。ということで、4つの劇中劇の中でも特に好きなダンスマカブルの話をさせてください。ストーリー自体の面白さ、完成度はもちろん、本編とのリンクが絶妙なところが魅力の劇中劇だと思っています。まあまあ長い(約8800字)ので飛ばし読み推奨です。前半はネタバレなしで布教しようとしていますが、「対比」の章からはネタバレしかありません。

イベントの概要

「ダンスマカブル」はアイドリッシュセブンのアプリ内で2020〜2021にかけて開催されたイベントで、初のフルボイス長編イベントとなっています。主演・主題歌ともにTRIGGERが務めており、主題歌「My Precious World」はダンスマカブルのストーリーともTRIGGERの世界観とも噛み合った稀代の名曲です。

 

My Precious World

My Precious World

  • TRIGGER
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

シナリオは山中拓也さんで、「spoon.2Di vol.71」のダンスマカブル特集でインタビューにも答えてくださっています。5周年イベントBEGINNING NEXTのレポートも載っている号なので未読の方は是非。

肝心のストーリーですが、アイドルコンテンツらしからぬかなりシリアスなものになっています(アイドリッシュセブン自体にもそういう傾向はありますが)。少なくない人数のキャラクターが死にますし、物語の舞台は憎しみ、悲しみ、憤り、妬み、そういった負の感情が渦巻く世界です。負の感情に負けずに正義を貫く人もいれば、その渦に呑まれて行く人もきちんと描かれていて、非常に誠実な物語だと思います。

ダンスマカブルとは

そもそもダンスマカブル(死の舞踏)というのは、中世ヨーロッパにおいて誕生したとされる概念で、以降音楽、絵画、彫刻等幅広いジャンルで用いられたモチーフです。諸説ありますが、ペストの流行・衝撃によって生み出されたものだとする説が有名で、現世でどんな身分であれ、死の前では皆平等である、という死生観を体現したものだとされています。平家物語の「猛き者もついには滅びぬ  ひとえに風の前の塵に同じ」で語られる無常観に近いものだと思います。骸骨と生きた人間が手を繋いで踊っている絵画を世界史の教科書で見たという人もいるのではないでしょうか。

File:Trionfo e Danza della Morte 004.jpg - Wikimedia Commons

さて、アイドリッシュセブンのダンスマカブルに話を戻します。イベント「ダンスマカブル」の開催は2020年、まさに新型コロナウィルスの感染拡大が始まった年です。「アイドルの創出」を掲げるアイドリッシュセブンが、そのタイミングでパンデミック起源のモチーフを持ってきたことが興味深いなと思います。意図とは違う面白さや意味が生まれるのはリアルタイムのエンタメの醍醐味だと思っているので、この偶然であろう現実とのオーバーラップがかなり好きです。黒縄夜行の黒も黒死病(ペスト)を連想させる……というのはちょっと穿ちすぎかもしれません。

ストーリーの妙

ダンスマカブルのコピーは「世界は二分されている」。この作品において、一貫しているテーマだと思います。作中のアークと地上では大きな格差があり、まさに二分されている世界だと言えますが、二分されているのはそこだけではありません。細かい対立は多くありますが、大きなテーマのひとつとして生と死の対比があると思っています。生きている者と、死んでいった者。生に固執する者と、死に囚われている者。生きることと死ぬことへの関わり方がそれぞれ皆違って、そのズレが争いを生み、新たな死が訪れる。生死を軸にしたストーリーテリングによって、シリアスな展開とずっしりとした読感が生み出されているのが「ダンスマカブル」です。少なくない人数のキャラクターが死にますし、物語の舞台は憎しみ、悲しみ、憤り、妬み、そういった負の感情が渦巻く世界です。負の感情に負けずに正義を貫く人もいれば、その渦に呑まれていく人もきちんと描かれていて、非常に誠実な物語だと思います。基本的に、劇中劇はキャラクターや関係性の掘り下げは少なめで、連動した一番くじでのブックレットなんかで補完されることが多いです。想像の余地がかなりあるので、二次創作などが盛り上がりやすいという強みもあります。そんな中で、ダンスマカブルは16人のキャラクターを各々掘り下げている作品であるという点が魅力です。もちろん全員平等にというわけではないのですが、他と比べて「それもっと詳しく!!」となる部分が少ない印象という感じ。どちらのタイプがいいかは好みの問題だと思うのですが、アイドリッシュセブンが好きな方ならダンスマカブルの完成度がハマるんじゃないかと思っています。ちなみにダンマカのブックレットもありまして、読み終えたばかりの人をずたずたにする濃厚なエピソードが山盛りです。気になる方は周囲にブックレットを所持しているマネージャーがいないか探してみてください(無謀)

キャラクターのビジュアル、設定が知りたい方はホームページ、PVをぜひ。気になった方、こんな記事は閉じて今すぐアイドリッシュセブンのアプリを開きましょう。

只今メンテナンス中です。|【公式】アイドリッシュセブン

youtu.be

ここからはネタバレモリモリの「ダンスマカブルのここが好き!」ゾーンですので、未読の方はブラウザバック推奨です。ごくわずかではありますが、本編6部までのネタバレも含みますのでご了承ください。

対比

先述した通り、ダンスマカブルのコピーは「世界は二分されている」であり、アークと地上、あるいはアークと地下の対比、それから生と死の対比が描写されています。たとえば、アルムとヴィダは住む場所、生まれ、性格や望むもの、すべてが正反対ですが、ふたりとも「人の貌をした厄災」です。自分の意志で厄災として生きようとするヴィダと、知らずに厄災となり意図に反して周囲に害を与えているアルム。憎い対比です。

それから、あれだけ時間があったのに伝えたいことを一つも伝えられなかったと嘆くカバネと、あれだけ時間があったからカバネの言いそうなことくらい伝わってるよと言うクオン。これを和泉一織と七瀬陸でキャスティングしてるの、悪趣味すぎて本当に好きだ。このクオンって「パラシュートはもう使った?」の七瀬陸さんじゃないですか。ダンマカの時点ではまだ4部までしか公開されてないはずなのにおかしいな。ストーリー上の対比としても堪らない演出であることと、アイドリッシュセブン自体の文脈も絡めさせてくれるような解像度が両立していて、ダンスマカブルの中でも5本の指に入るお気に入り描写です。

対比を語るにあたって外せないのがキャラデザです。リベリオンの衣装には差し色や裏地に赤が使われているのに対して、黒縄夜行は表面に広く赤が用いられており、地下組の衣装は血が黒ずんだような茶色*1をのぞいて無彩色で統一されています。リーベルとカバネは衣装の形がそっくりですし、ロイエが白手袋でシャオが黒手袋なのも洒落てますよね。あと、エーテルネーアが手の甲、ミゼリコルドが首、アルムが前腕に聖印が入っていて、クオンがその3か所に包帯巻いてるのもなかなかパンチがあります。結局包帯の詳細については触れられなかったはずなので妄想し放題な設定です。

リーベル/アルム、カバネ/クオンの関係性ももちろんですが、個人的にはフーガとコノエにも対比を感じています。心酔する主の変容を受け入れられなかった人と、受け入れ続けた人。コノエが気になる人全員にブックレットを読ませて回りたいという気持ちをずっと持て余しているので、お心当たりのある方は連絡してください。

あと、崇拝する対象である偶像として天子を据えた上で、はるか昔の天子に七瀬陸、現在の天子に亥清悠を配役するの、攻めてて好きです。ということで、ここからは偶像崇拝についてのターン。

偶像崇拝

私がダンスマカブル推しになった要因ぶっちぎりナンバーワンが、これ。偶像の描き方が抜群で、アイドリッシュセブンのスタンスと絶妙なマリアージュを生み出している劇中劇なんです。中国版のアイドリッシュセブンのタイトルが「偶像星願」なことからも察せられる通り、「偶像」は「アイドル」と限りなく近いニュアンスを持つ言葉だと思っています。我々の主観を通して、神や人そのものを捉えることはほとんど不可能であり、程度に差はあれど見えているものはどれも偶像にすぎないというのが持論です。プラトンイデア論なんかも近いと思っています。実際と見え方にズレが生じるのは自然で避けられないことですが、人格の持ち主を尊重すること、偶像を見ていることを自覚することなど偶像との距離の置き方が非常に難しい。アイドリッシュセブンは、ファンがアイドルに求めるものと、アイドルが見せてくれるものと、アイドルをやっている生身の人間のバランスと向き合っていると思います。そして、そこに希望を見出してくれる。一方のダンスマカブルは、偶像崇拝のもう少し暗い側面を描いていますが、スタンスはあくまで肯定なのが特異点です。

まずは、話の主軸にもなっているクヴァル→アルムの偶像について。「天子様」という偶像に囚われるあまり、「アルム」を見失っていたクヴァルは、苦しんだ末にアルムの名を呼び、友人として向き合うことを選びます。対するフーガは、「憧れのヒーロー」であるリーベルを捨てられず、真逆の方向へ暴走してしまいます。偶像は克服することもできるが、一歩踏み外せば身を亡ぼす原因にもなる。容赦のない描写です。

天子の設定によって、偶像の虚構性に光を当てているのも容赦がないなと思います。本人も含めて皆が信じていた「天子様」は実は代替可能な殺戮兵器で、平和の象徴というのは真っ赤な嘘だった――ショッキングで、人間不信になりそうな展開です。しかし、それでもアルムの圧倒的な善性は損なわれないというところに救いがあります。彼は確かに人を前向きにし、笑顔にできる存在であり、実際にリーベル死亡エンドでは地上の者の希望になりたいと明るく話していました。自ら進んで偶像を引き受けることもできるし、それが幸せとなることもあると描写してくれるところが、とてもアイドリッシュセブンだと感じます。しかも、アルムは「歌や踊りでも覚えてみようかなと思っている」わけで、アイドル賛歌っぷりが最後に凝縮されていますね。アイドルという概念の原点に立ち返るようで、特に好きなシーンです。

リーベルとアルムの関係性もまた、美しいものです。ふたりとも偶像を引き受けてきた人たちで、偶像を飛び越えて自分を見てくれる友人とはじめて巡り合うところも同じ。フーガが指摘したように、リーベルはアルムを救うことで自分自身救われていたと思います。リーベルは生まれながらの英雄というか、異質な強さと正義感をもつ人で、それは荒れ果てた地上で光のように見えたことでしょう。しかし、リーベルと同じ強さで、同じ高さで、リーベルの夢を見てくれる人はひとりもいなかった。右腕たるクウラも、舎弟であるフーガも、無理だろうと思っていたように見えます。だけど、このまま滅びていくだけなら。この人を信じてみようとすがったのではないかと邪推するのです。いやほんと、狂ってますよ。地上は完全に負のループに陥ってるし、アークはどんどん力を増してるのにリベリオンは食料調達からやらなきゃいけない環境で、その世界をまだ大事に思っているばかりか、光を見出しているなんて。狂ってるんだけど、その狂気に引力があるのも理解できるんです。私もアイドルをよすがに未来を見ているから、そうやって何かにすがって生きる気持ちが、少しだけわかる。でも、そういう光って近づきすぎるとこっちの身がもたないものだと思うんですよ。クウラみたいに自覚的ならともかく、フーガの「この人になりたい」は完全にアウト。対照的に、アルムはそこに並び立てるだけの光を持っていた。地上を美しいと言い、リーベルと同じ夢を見ることができる人。そんな稀有な才能の持ち主を目の当たりにしてしまったら、フーガが潰れるのも当然だなと思います。アルムの強さは、自分を売ったフーガのことを「フーガにはフーガの正義があったから仕方ない」と処理できているところにあるんですが、この強さは「辛いなんて思っていいわけないじゃないか」のクオンともリンクする気がします。他人の膨れ上がった感情に踏み込み過ぎずに受け止められるのは、天子として周囲から切り離されていたからなのかな、とか思ったり。そういうアルムにとって、すべてを言葉にして伝えようとしてくるリーベルはやっぱり新鮮で、嬉しい存在だったんじゃないでしょうか。アルムはリーベルを見て、リーベルと言葉を交わすことで生きることを覚えた、というのが私の解釈です。偶像に頼らず関係を築いたふたりが世界には偶像が必要だという結論にたどり着くのは、偶像に対する紛れもない肯定なんだと思います。

ヴィダもまた、偶像を背負った人間ですね。プラセルはヴィダを最強だと信じて、彼と一緒なら俺も無敵だと感じている。実際ヴィダは強いんだけど、それだけではどうにもならないくらい劣悪な環境で、それにすがるしかなかった人たちのことを思うと何とも辛い気持ちになります。オルカはたぶん、信じきれなくて、それが彼の苦しみを生んでいたんじゃないかと思うんだけど。とにかく、ヴィダは死者と生者の期待を一身に背負って戦い続けてきた人なわけで、このキャラクターを九条天が演じているという事実に痺れます。強さゆえの孤独、責任、そういうものを全部飲み込んで戦い続ける強い人。まさに九条天、と言いたいところだけど、その照準が暗い方を向いているのが決定的に違うんですよね。ダンスマカブルには完全な正義は存在しないけど、理解されにくい正義はあります。ヴィダも間違いなくそっち側。

荒々しい物言いや行動が目立つのですが、その裏にある彼が背負った運命や生き様をきちんと皆様にお伝えできるよう、精一杯務めさせていただきました。

ダンスマカブル公式ホームページ 九条天キャストコメントより抜粋

そこでこのコメントですよ。自分の演じるヴィダを見ることになるファンに、これ以上ない橋渡しをしてくれるアイドル、九条天。圧倒的です。劇中劇の旨味が濃縮されてますね。

相関図に上手く入れられなかったのは、カバネ→カバネの偶像です。自分は英雄ではなくてはならない、立派な主であらねばならない、という強い気持ちは、ある種偶像崇拝なのではないかと思っています。自分の中の理想(偶像)と現実のジレンマに苦しんでいたカバネが、もう一度闘うことを選んだのだと思うと、胸がいっぱいになります。カバネのことが知りたくて手に入れたブックレットを読んだとき、人生の中でトップレベルに感情が暴走したのをはっきり覚えています。リーベルと対比されているキャラクターなわけですが、カバネは彼と比べると言葉が本当に少なくて、それが結局彼を苦しめている印象です。アイドリッシュセブンにおいては「言葉にしないこと」が何よりも問題だと思っているので、この辺もリンクするなと思っています。アイドリッシュセブンにおける悩みや問題はたいてい言葉が足りていないことで起きているんですよね。裏を返せば、誰かに言葉にして打ち明けはじめたら、その問題は上手くいくんです。ダンスマカブルでは、カバネは言葉にすることができなくて、リーベルは言葉にすることができた。この違いは大きいんじゃないかな。2人とも思ったようには世界は変えられなかったかもしれないけど、後悔が残ったかどうかには差ができているような気がします。カバネ、なんて業の深い人......

シャオから見たロイエが、幸せの象徴そのものであったことも苦しいですね。シャオは、地上とアークの人たちの間に何も差がないことを知っていて、だからこそアークを信じたい気持ちは誰よりも強かったのではないかと思います。自分の幸せが続くことを信じたい。自分を育てることを選んだ父親を、肯定したい。そういう切実さが、言動の端々に滲んでいるような気がします。ロイエもきっとそういう祈りのような気持ちを持っていて、だからシャオを拾って育てたんじゃないのかな。すごく人間らしいというか、生活を感じるキャラクターで好きです。

由来について

ここからは先人の調査の紹介とそれにかこつけた私のキャラ語りパートになります。

リベリオン

リーベルとクウラの由来の納得感と、フーガの由来の容赦のなさでぐちゃぐちゃになります。彼は最初から逃げていたわけではなくて、アルムに戦い方を教えてくれていたときもあったわけで、その必死の踏ん張りを思うと苦しい。そして逃げながら、リーベルが追いかけてくることを期待しているのがまた苦しい。フーガ......

ナーヴ教会

アークは方舟という言葉がぴったりきますね。終わりかけた世界に浮かぶ方舟。そしてアルムの由来はネタバレすぎる。そこにあるだけで死をもたらすというアルムの武器としての特性は感染症を思わせるなと思っています。
エーテルネーアもなかなかですが、ミゼリコルドが衝撃的すぎてはじめて知ったとき天を仰いだのを覚えています。

ミゼリコルド (武器) - Wikipedia

ミゼリコルドの複雑骨折した正義をこんなに適切に言い表せるの、すごすぎる。ナーヴの存続という点に限っては、彼のしたことは本当に慈悲の行為で、もしかしたらエーテルネーアとミゼリコルドは最後の最後までいいコンビだったのかもしれない。メリバにもほどがありませんか?

ユニティオーダー

クヴァルの強さは苦悩して乗り越えるところだと思うので、リーベルと同じく納得感がありますね。ライデンも、耐え続けて麻痺することで強くあろうとしたキャラクターだと思っているのでこれも納得。ロイエの由来も彼の生き様そのものなんでしょうが、言葉にされるとなかなかの重さですね。シャオを拾って育ててきた彼の人生と、シャオを喪った彼の人生のことを思うと苦しい。シャオがアークでアナウンスを担当している理由についてはブックレットに記載があります。

黒縄夜行

個人的には黒縄地獄が由来なのではないかと思っています。

八大地獄 - Wikipedia

殺生・盗みをした者が堕ちる地獄なのもドンピシャだし、縄で縛られ、その縄目に沿って斧で斬られるらしいのでヴィダの斧とも繋がるなと。

ヴィダとプラセルの由来がポジティブなニュアンスなのが残酷すぎますね。オルカのは正直納得いく解釈にたどり着けていないのですが、最後まで狂いきれなかったほの暗さにはよくマッチしているなと思います。舞踏の舞台から降りた罪悪感みたいなことなんでしょうか。何かにたどり着いた方がいたら教えてほしいです。

忘れられたものたち

ゴウトのゴウが業なのも、生きる目的を失っても死ねなかったカバネが屍なのも、人の心がなくて的確でぶっ刺さりますね。クオンの不思議な存在感は永遠がないと知っている七瀬陸だからこそ出せるものだと思っているので、こんな名前いいんですか?とずっと思ってます。そしてコノエ、あまりにそのままで泣ける。ずっと近くで仕えてきたその忠誠に心から敬意を捧げたい。コノエが好きな人、どうにかしてブックレットを手に入れてほしいよ......(2回目)

おわりに

ダンスマカブルにおける正義はすべて「キミのためにそう負けないさ」だと解釈しています。キミを、未来を、信じるため、守るために戦うこと。それが偶像でも、絵空事だとしても、信じて戦える人の方がやっぱりカッコイイんだって、思い出させてくれるダンスマカブルが大好きなんです。あと書きながらブックレットの密度の異常性を改めて感じました。もう公式に入手できないものの話をするのはためらわれるんですが......全員私とお友達ということにしてお貸ししたいところなんですけどね......どうにかならんものかと思いつつ一番くじの景品という位置づけだと難しそうで悲しいです。でもムビナナ出の皆さんにすぐ読んでもらえるタイミングで復刻してくれたのは超嬉しい!いっぱい感想が読めて、FAや二次創作なんかもいっぱい流れてくるのがハッピーです。誰が読んでくれるんだろうと思いつつ長々と書いてしまいましたが、ダンスマカブルの余韻を楽しむ一助となればと思っております。お付き合いいただきありがとうございました!

 

 

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*1:この表現はさすがに穿ちすぎかもしれません