終わらないアイドルとアイドルの幸せ

 

 

※具体的なネタバレは含まれませんが、アイドリッシュセブン5部11、12章の内容が前提となっています。把握の上お読みください

 

 

 

 

 

 

今回の更新は「アイドルとは何か?」「永遠とは何か?」という、アイドルを愛する者たちの永遠の命題、そしてアイドリッシュセブンという作品自体の芯に迫る内容になっていました。永遠のアイドルを求める九条鷹匡に対して、私たちのほとんどが嫌悪感に近いものを(程度はさておき)持っていると思うのですが、物語が急にこちらを向いて「あなたも同じですよ」と突きつけてきたような気がして背筋が冷たくなりました。

人は、夢を与え、みんなを楽しませるためにアイドルとなり、日常からの逃避、あるいは人生のお供としてアイドルを愛し、応援する。アイドルに関わる誰もがその景色に夢中になり、「この夢が終わりませんように」と願う。「こんなに楽しそうなのに、辞めたりするわけない」「こんなに仲がいいグループだから、解散するなんて有り得ない」、私たちは様々な理屈でアイドルの永遠を信じようとする。

それでも、アイドルはいつか終わってしまう。

なぜなら、アイドルは人間だから。ファンも人間だから。いつか寿命を迎えて彼岸へ渡る存在であり、声が出なくなることも、耳が聞こえなくなることも、体が動かなくなることもある。他に優先したいものができることだって、もちろんあるわけです。それはアイドルもファンも同じこと。誰にも、それを責めることはできない。

ファンはアイドルの永遠を願いながら、アイドルの幸せも願うものだと思います。解散、活動休止、脱退、退所、こうした彼らの選択を受け入れられない気持ちを「これが彼らの幸せなら」で押さえ付けた経験がある人は多いのではないでしょうか。それは本心でありながら、「どうしてそのままでいることが幸せではなくなってしまったのだろう」と思わずにはいられない。私たちが愛するアイドルを、アイドル本人がもう愛していないのではないかという疑いは何よりも恐ろしいものです。そして、愛してやまないアイドルを追い詰めてしまったのは、他ならぬ自分ではないかという恐怖も、また、私たちの心を蝕みます。こうした恐怖を味わったことのある人はアイドリッシュセブンに救われてしまう傾向があるのではないかと勝手に思っています。

 

アイドルに終わりは付き物なのだとしたら、「永遠のアイドル」「終わらないアイドル」は存在し得ないものなのでしょうか。アイドルは生身の人間でありながら、本人の元からは離れた存在でもあると思うのです。私たちが彼らに見た偶像は、彼ら自身がいなくなったとしても残り続ける。例えば、ゼロは失踪したけれど、その失踪によって本当に「永遠」となった、と捉えることもできるかもしれない。人気絶頂のタイミングで忽然と姿を消すことで、人々の記憶に残るのはアイドルとしてのゼロだけになった。銀紙が破れてしまう前に、メッキが剥がれ落ちてしまう前に、輝きを失ってしまう前に。ぱちん、と指を鳴らして魔法を終わらせる。12時の鐘が鳴って魔法が解けてしまう前に、王子様の前から姿を消すシンデレラのように。それは哀しくも美しい選択なのかもしれません。

 

終わらないアイドルと、アイドルの幸せ。重なるようで重なりきらないこのふたつを、どうにか両立することはできないのだろうか。今まで数多のアイドル、ファン、そしてスタッフが抱えてきたこの葛藤に、アイドリッシュセブンはどんな答えを出すのだろう。アイドルを愛する1人の人間として、アイドリッシュセブンが出すその答えが知りたいと思わされる章でした。